人生トレード魔法――セレナ皇女の場合(発端・一)
🕑 Added 2023-07-25 02:10:55 +0000 UTC
「セレナ皇女、悩み苦しんでおられますね」
わたしを一目見るなり、公爵はそうおっしゃいました。
王宮の庭園の、普通なら誰も訪れないような片隅に、わたしは身を潜めていました。近い将来訪れる未来を悲観し、しかし打つ手など何も浮かばず、そもそも誰にも理解されるわけもないことと、完全に諦めていました。
そんなところへなぜかやって来た公爵は、いきなり先ほどの言葉を述べたのです。
公爵は、他国の方です。本国では王室の末の姫君をめとって子宝に恵まれていると伺っています。
この方について、良い噂も悪い噂も聞いたことはありませんでした。本国でも各国でもふらふらとさまようように動き、何の成果も成し遂げず、しかし何の悪事もしでかさず、気づけばそこにいる……そんな御仁です。政治的な手腕とも外交的な狡知とも無縁な、家柄と無難な人柄だけの人と思っていたのは、わたしだけではないでしょう。
しかし今、わたしが胸に秘めていた絶望にただ一人初めて気づいた方でもありました。
「話すだけでも楽になるかと思われます」
その言葉を糸口に、わたしはこれまで誰にも言わなかったことをするすると心の内側から引き出していくのでした。
「わたしはもうすぐ婚礼を迎えます。大陸最大の勢力を誇る帝国の、その頂点に立つ若き帝王の花嫁となります」
「はい」
「……わたしはそれが、嫌で嫌でならないのです」
「ほう」
「帝国では……いえ、帝王の婚姻制度に限ってのようですね……一夫多妻制度があるそうです。後宮に各国からとりどりの美女が集められ、日ごと夜ごとに帝王と愛し合うそうです」
「そのようですな」
「わたしは第一夫人ということになります。それが栄誉であることくらいは理解しています。けれど、帝王はすでに側室と称して、様々な女性を後宮に掻き集めて、ことに及んでいると聞きます」
「はい」
「また、一度後宮に入ると外界とは隔てられ、外との関わりが非常に乏しくなるとも聞いています」
「それも、そうですな」
「帝王の寵愛を得られぬ者は、後宮を追い出されるでもなく、ただただみじめに後宮の中で生きていくとも」
「歴代帝王の後宮でそのような生き方を強いられた方はいたようです」
「今の帝王は、歴代帝王を強く尊敬しているという話ですし、男尊女卑を隠しもしないとも聞きました」
「私もそうした噂は耳にしています」
「つまり、今から少しすると」
ここまで言ってしまっていいものかと一瞬悩むも、促すように見つめる公爵に思うところをすべてぶちまけてしまいました。
「わたしは籠の鳥どころか檻の家畜となり、檻の中にいる唯一の雄に種付けしてもらうために他の雌たちと日々競い合い、それ以外は何もできない生を強いられる……そのように認識しています」
「間違った認識とは思いません」
「何かしらの喜びや楽しみを見出せれば、そんな生活も素敵なものと思い込めるのかもしれません。今日を生き延びる糧も得られないような人に比べれば贅沢な悩みではあるのでしょう。それでも、何を好むかもろくに知らぬ男性との性愛の駆け引きや、欲や愛憎にまみれた女性たちとの闘争や、現世から遠ざけられたような隔離世界での生活は、どれ一つとしてわたしの好むところではありません」
「お話はよくわかりました」
公爵は深々と肯きました。
「皇女にあるまじき愚痴を、申し訳ございません。……今さらではありますが、くれぐれもこの話は――」
「もちろん口外などいたしませんよ」
「お聴きいただきありがとうございます。少しは気が軽くなったように――」
「ところで」
公爵は唐突に言いました。
「すべてを捨てれば、その人生よりは確実にあなたの気に入る生を得られる……となったら、あなたはどうなさいますか?」
こうしてわたしは、人生の打開策を授けられました。
*
「ここまでの話ですでにおわかりいただけているとは思いますが、改めて説明いたしましょう」
公爵はそう言うと、わたしに再び話し始めました。これまでわたしの疑問や質問で幾度となく話の腰が折れていたものを、手際よくまとめていきます。
「この魔法については、あなたが心の底から自らの人生に耐えられないと判断した際に、両手を組みながら先ほど教えました呪文を唱えれば、それだけで発動します」
「は、はい……。暗記は完璧にできたと思います」
「呪文を唱えたその瞬間、あなたの魂は『セレナ皇女』から切り離され、どことも知れぬ異界へ運ばれます。そして、時には時空も世界の壁すらも超えて、新たなる生と肉体を与えられます。それは、『今のあなたの人生』よりは確実に、あなたの性(しょう)に合う生となります」
完全な別人となって新たな生活を送る。
わたしはそんな魔法を授けられたのでした。
「別の国、別の時代、あるいは別の世界で生きることになりますが、新たな肉体には最低限以上の情報が残っています。言葉や慣習の違いでいきなり台無しになるなどということにはなりません」
「はい」
「あなたは『セレナ皇女』の肉体と人生を放棄することになりますが、心配には及びません。そこには新たな魂がやって来て、あなたの代わりに皇女としての……帝王の第一夫人としての人生を始めることとなります」
「はい……」
最初に教えられた時には安堵しました。わたしの代役がわたしの代わりに生きてくれること自体は周囲にとって喜ばしいことです。わたしはこの皇国にも、帝国にとて、迷惑をかけたいわけではありません。
けれど、声は沈みます。
「おや、気になることでも?」
「別の人にこんな人生を押しつけることに罪悪感を覚えるのです……」
「なるほど、あなたは心優しくていらっしゃる。しかし想像力がいささか足りていませんな」
「どういうことでしょう?」
「あなたにとってその人生は絶望的でも、他の者にとってはそうではないということです。籠の鳥、いえ、あなたの言葉を借りれば檻の家畜……そんな立場を良しとする者は非常に多いのです」
「それは……貧しいからということでしょうか?」
「いえいえ。あなたのこれからの人生を正確に理解し、その上であなたにとって代われるものなら代わりたいと思う者も多いのです。帝王の寵愛を一身に受けたいと思う者、周囲の側室ややがて現れる第二夫人第三夫人らと醜い争いを繰り広げつつも勝利してざまぁ見ろと言ってやるのを楽しみたい者、煩わしい現世の責任から完全に逃れられる後宮で安逸に生き続けていたい者……いずれもあなたには理解しがたい存在とは思いますが、そのような嗜好・志向を有する者はこの世に事欠きません」
公爵が言う通り、それらはわたしの理解の範疇を超えていました。
「この取引において、『セレナ皇女の人生』は瞬時に引き取り手が現れることでしょう」
「取引……ですか?」
魔法を語る中で飛び出すとは思えないその言葉が気になりました。
「新たな補足となってしまいますが……先ほどから魔法魔法と呼んでいますものの、これは実は魔法とは似て異なるものです。人知を超えた存在に乞い願って、苦しんでいるそれぞれの魂がそれぞれの人生を取引する場所を準備してもらい、より良い生にたどり着くための仕組みです」
「……わたしは、愚かなことをしようとしているのでしょうか。色々な人が欲しがり羨ましがる貴重な人生を捨てて、別の人生を始めたいと思っているわたしは」
「そんなことはありません」
いつになく強い口調で、公爵は言いきりました。
「あなたの苦しみは、あなたが間違いなく抱えているものです。その苦悩が本物であるからこそ、私はこうしてあなたの前に現れたのです」
この方は何者なのかと、疑問に思います。もしかすると「人知を超えた存在」の一人なのでしょうか。
「あなたがこの取引で得る次の生は、今のものより劣っているように見えるかもしれません。しかしあなたにとってはそちらこそが歩むべき真の生となるはずです」
真剣な口調で言い募っていた公爵は、ふと表情を和らげました。
「とは言え、具体例を何も知らないままで踏みきることも難しいでしょう。私が知るいくつかの例を話しましょう」