あいつとシェアハウス 19話ボツ案
🕑 Added 2018-06-07 11:53:18 +0000 UTC
タイトル通りシェアハウス19話のボツ案になります。思いっきり書きかけのものなので「ボツ案とかもあるのか」ぐらいに気軽に読んで頂ければ幸いです。
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■あいつとシェアハウス 19 女子たちに明日はない・旧案
昼間の編集部は緊迫していた。あちこちで電話が鳴り響き、誰か急ぎ足で出て行ったかと思えば、別の誰かが毛を乱して室内に駆け込んでくる。その目まぐるしい世界の片隅で、あたしは手帳にペンを走らせる鹿を見据えていた。
「じゃあ、考えておいてくださいね」
「分かり……ました」
重々しく返事をすると、鹿は「では」とだけ残し、自分のデスクへと戻っていった。あたしは肺に詰まっていた息を吐き出しながら、もう大分くたびれた様子のソファにもたれる。同時に、仄かに煙草の臭いがして、つい顔が歪んだ。
……踏ん張りどころ。正念場。伸るか、反るか。そんな語群が脳内を飛び交っていくが、今一つピンとこない。崖っぷち、というよりは、崩れそうな崖際に、片手で宙ぶらりん、というような、そんな感じの。
いずれ、大きな岐路に立たされてることには違いなかった。幸い、猶予はまだ少しある。あたしは素知らぬ顔でどこかへ業務電話を掛ける鹿を一瞥して、居心地の悪い編集部を後にした――。
――それが、彼らと知り合う前のこと。あれから一年が経ち、あたしは崖際にしがみついたまま、気付けばまた一つ年を取っていた。心の底に、深い蟠りを作り上げて。
◆
休日のショッピングモールは慌ただしい。それが昼時ともなれば尚更だ。子供の走り回る音。ティーンズのはしゃぐ声。ママさんグループの賑やかな談笑。様々な喧噪に負けぬよう、あたしも少し声を張る。
「アオちゃーん、こっちー」
軽快に手を振れば、丸眼鏡の女の子がこちらのテーブルに駆け寄ってくる。白のカットソーに水色のワンピ、手にはボーダーの手提げバッグを携え、いかにもガーリーなファッションの彼女は、あたしにはどうも眩しかった。
「もー、アキさんってば。入口で待ち合わせって言ってたのにー……」
「ごめんごめん。この混みようだと座れないかと思ったから、早めにね」
「別に、いーですけど」
人混みを掻き分けて疲れたのか、彼女は口を尖らせ席に着いた。施設の二階に位置するフードコート。その窓際にある、観葉植物に挟まれた二人席で、あたしとアオちゃんは向かい合う。凛とした目つきが、ちょっと羨ましい。
「久々ですよね、会うの」
「ねー。いつぶりだっけか」
うーん、と唸りながら、手櫛で髪の毛を軽く整える彼女。道行く女子たちを見てても思うが、どうしてこうもひとつひとつの所作が女の子らしいのか。あたしには永遠の謎だ。
「確か、二年とか前ですよ。あのとき私、まだ高校生でしたもん」
「あれ、もうそんなか。ついこないだ会ったばっかりかと思ってたのに」
そう言って、あたしは脚を組む。言われてみれば、それぐらい間が空いてしまってる気もした。あたしたちが互いを愛称で呼び合うようになってから、もう数年もの月日が流れてる。
「アキさん、この前の通話のときもそれ言ってましたよー」
……そうだっけ、と口にしかけて、すぐに止めた。ヤバいな、あたし。数年前どころか、つい先日の話すらろくに思い出せないなんて。年齢が嵩むにつれて、時間が経ってしまうことへの感傷が薄れてしまってるのかもしれない。
「それにしても」
窓の外、雲一つない快晴へ視線を投げて、アオちゃんが呟く。
「なんだかんだで、四、五年も続いちゃってるんですね、交流」
「なーに、不満なの」
「まっさか。そんなわけないじゃないですかー」
彼女は即座に首を振る。それが嬉しくて、あたしは座っていた椅子の背もたれに、どこか重たい背中を預けた。
「ただ、なんか、こう、感慨深いなー……って」
「……そうだねー」
腕を組み、当時を思い出す。ネット上で意気投合して、あたしが気まぐれに会いに行ったのがきっかけで。振り返ってみても、我なら凄まじい行動力だったな。そのおかげで、こうして縁が続いてるのは、喜ばしい限りとはいえ。
「驚いちゃいましたよ、私。交流相手が隣町に住んでて、しかも年上のお姉さんって」
「あたしのほうこそ。喋ってた子が、まさか年端も行かない女の子だったなんて」
「あはは。あれは面白かったですよね。アキさん、私の顔見るなり立ち尽くしちゃって」
「あれは……その、しょうがないでしょ」
ホント、あのときは目を疑った。やけに達観してる物言いが多かったから、きっと同い年か年上ぐらいだろうとか考えてたのに。蓋を開けてみたら、その正体は中学生。そりゃ言葉だって失うし、呆気に取られるのも無理ない。
「まあ、おかげで、今日この日があるわけですから」
あたしは頷く。あれから彼女は引っ越してしまい、あたしも新生活のためにあの地を離れたから、今回のオフ会は、正直奇跡的とも言えた。またしても、たまたま住んでる場所が近かったなんて、偶然の神様も、随分と粋な計らいをしてくれたもんだ。
「そうそう。感謝してよねー」
冗談めかして、厚かましく宣ってみる。するとアオちゃんは、数秒ほど考える素振りをしたあとで、悪戯っぽく笑った。
「ありがとうございます、アキさん」
「え、ちょっと」
「感謝してって言ったじゃないですか」
「そりゃ……言ったけどさあ」
不意に感謝を告げられて、面食らう。確かにそうは言ったが、まさかホントに言われるとは。特に何かした覚えもないし、なんなら今日だって、急に呼びつけて来てもらったようなものだし。礼なんて、あたしのほうが言いたいぐらいなのに。
「私、長いこと片親で、しかも転勤族だったから、友達もなかなかできなくて。運よくできても長続きしないし」
「あー、そういえば。お母さん……いないんだっけ」
「父が不甲斐ないんですよねー。いい様に尻に敷かれちゃって。離婚するときも慰謝料取らなかったらしいし。母の不倫が原因なのに」
彼女は、やれやれ、とでも言いたげに、肩を竦めた。前々から話には聞いていたが、相当苦労してるらしい。妙に大人びた感じも、そういう込み入った家庭事情からくるものなんだろうか。
「せっかく縁談もらっても、お金がないからって断ってたんですよ。まぁ、その頃は私を育てるので手一杯だったみたいで、仕方ない部分もあるかなとは思うんですけどー」
「なるほどねえ」
「学校の道具とかも、いとこのおさがり使ってたんです」
「大変じゃん、それ」
「ですね、大変でしたよ」
にこやかに話す彼女を傍目に、あたしは感心していた。大した辛苦もなく今日まで生きてるあたしにとっては、アオちゃんは遠いどこかの偉人にすら思える。健気だよなぁ、ホント。
「えーと、で……なんでしたっけ」
「友達がなかなか作れなかったって話」
「そうそう。で、ボロの道具持ってってたら、当然のごとく同級生たちに敬遠されちゃって。図書室で借りる本が一番の友達だったんですよ、私」
「……うん」
「それで、そんなある日、父が友人からパソコンをもらってきて」
「運命の出会いってわけね」
「ホーント、運命的ーって感じでしたね。のめり込みましたもん。家事が疎かになっちゃうくらい」
「んで、ネットの世界に飛び込んで、あたしと巡り合った……って?」
「ですね。だから、いわばアキさんって、初めてまともにできた友達なんですよー」
「友達……」
会話の流れでしれっと言われ、あたしは再び面食らった。少し年の離れた彼女から贈られた、『友達』の言葉。手元に置いておくには、少し輝きが強すぎる。そのくらい、あたしには勿体ない言辞だった。
「……いいのかな」
思考は口元から零れる。が、それは辺りのざわめきに呑まれ、どこへともなく消えた。
「あれ、何か言いました?」
「……ううん、なーんにも」
嬉しさと、むず痒さ。近頃自信という自信を喪失気味のせいか、相手の率直な感情表現にすら、なんとなく斜に構えてしまう。もっと素直に喜べたらいいんだけれど。溜め息がちに窓から外を見れば、階下の駐車場に見覚えのある影を二つ見かける。
あの二人だ。不機嫌そうな猫と、上機嫌そうな犬。近くにいる豹と馬も親し気にしてるあたり、仲間内で遊びに来たって感じか。じゃれ合う彼らを眺めて、思わず顔が綻ぶ。ああやってるのを見ると、自分のしたことも、少なからず無駄じゃなかったと思えた。
「どうかしたんですか」
「ああ、ちょっとね。あたしでも不甲斐ない奴らの背中を押すぐらいは出来たんだなあって思って」
「不甲斐ない……あ、そうそう」
聞いてくださいよー、とアオちゃんは前のめりになって喋り始める。まるで噛み付くような様子だったので、あたしも軽くビビってしまった。
「あたし、中学時代付き合ってた男の子と、偶然再会したんですよ」
「そういえば言ってたね、そんな話」
以前の通話で、いわゆる元カレと出くわしたってことは聞いていた。確か、恋愛感情が分からないとかなんとか言われたらしいけど、何か進展でもあったんだろうか。
「……相談されたんですよ、私」
「相談、って」
「その、恋愛感情の件で」
「うわー……」
床の模様に目を落としながら、アオちゃんはむくれる。まあ、あたしだったら蹴り飛ばしてそうだが、生憎彼女はそんな荒っぽい子じゃない。素直に同情する。
「いくらお互いもう好き合ってないからって、仮にも元カノにその類の話をしてくるなんて。もう、デリカシーなさすぎだと思うんですよね」
「そうねー」
相槌を打ちつつ、どんな酷い輩か想像する。しっかり者のアオちゃんが惚れるぐらいだから、ぱっと見は悪くない男だろう……なんて、無粋な推測なんかしたりして。
「だから私、そいつの手、握ってやったんです」
「にぎ……え?」
「それで照れたりなんだりするようなら、もうこれでもかってぐらい笑ってやろうと思いまして」
「はは、怖い怖い」
「でも、駄目でしたね。うんともすんとも、って感じで」
「目論見は失敗、ってわけね」
「私、むしろ拍子抜けしちゃって。意地悪するのも気が引けてきて、その日は普通にアドバイスして終わったんですよ」
ふーん、と鼻を鳴らした。こういうところが、この子のいいところだよなぁ、なんて、漠然と考える。彼女は重々しい溜め息をついて、頬杖をつき続けた。
「まあ、恋愛感情かどうかはともかく、彼は気になってる子いるはずなんですけどね」
「へえ、どんな子なの」
あたしから見ても良物件な彼女を、邪険にするような輩が気にしてる子だ。さぞや、それなりのスペックをしてるはず。野次馬根性ながら、興味はある。
「どんなって言われても……そもそも男の子だし」
「男……?」
「あんだけ仲良かったら、親友以上の関係があってもおかしくなさそうだなーって思うんですけどねー。私の頭が腐ってるだけなのかなぁ」
「…………」
「というかあの二人、この前会ったとき、距離感が良い感じになってたんですよね。多分何かあったんだとは思うんですけど、私が詮索することじゃないし」
話を聞いてる間、なぜかあたしの脳裏には、先ほどの二人が浮かんでいた。まさか、いやでも、もしや。
「ああやって見せつけられると、なんかさっさと付き合っちゃえばいいのにー、なんて思っちゃいますよねー。少なくとも、相手の猫の子のほうは十中八九好いてるはずなのに」
予感が、段々と確信めいてくる。あまりにも、あたしが知る二人と、彼女が話す二人の人物像が一致しすぎてて。
「ホーント、大智くんってば。不甲斐ないと言うかなんと言うか」
「あの、アオちゃん」
「はい」
「大智って、もしかして、アホ面で図体のデカい、黒っぽい毛の……」
「あー! そう、そうです。え、待って、アキさん知ってるんですか」
「知ってるも何も……」
あたしは苦笑して、事の顛末を彼女に話した。二人が隣に住んでるということ。割と面識があるということ。ちょっと前、二人が気まずかったこと。そして、ここ最近、仲直りしたらしいということ。
「えー、ちょっと、もー、なんで早く言ってくれなかったんですかー」
などと騒いで、俄かにはしゃぐ彼女が微笑ましい。あれこれ喋ってしまいそうだったが、流石に善人の片思いについては言わなかった。いくらアオちゃんが察してるとはいえ、他人に口外されるなんて、気分のいいものじゃないだろうし。
「ていうか、こんな偶然あるんですね」
「ねー、あたしもびっくり」
世間の狭さを実感しながら、あたしはまた窓の外に目をやる。噂の彼らの姿はもうないようだった。きっと店内のどこかで、友人を連れ、二人楽しくショッピングにでもしゃれこんでるのだろう。あたしの思惑など、露も知らずに。
「浮かない顔してますね」
「ん、え、あたし?」
「なーんか、悩まし気な顔してますけど」
あたしの憂鬱をあっさりと言い当てる彼女に、思わず嘆息してしまう。ホント敵わないな、この子には。人の心情を読み取る鋭さは、数年越しであっても、以前と全く変わりなかった。
初めて彼女に会いに行ったとき、あたしはルームシェアの相手――柔らかい雰囲気のふわふわした女の子で、あたしの想い人だった――に、出て行かれた矢先だった。喧嘩別れじゃなく、単純にその子が、付き合っていた彼氏と結婚する、という理由で。
そのときも、あたしは今日みたくどこか浮かない顔をしていたらしい。それでも、なるたけ気丈に振る舞っていたつもりだったのに。当時中学生のアオちゃんは、いとも容易くあたしの仮面の奥を見透かしてきた。
何かあったんですか。
そう尋ねる凛とした眼差しの先には、曇った表情のあたしがいた。自分なりに気持ちの整理をつけられたとばかり思い込んでいたが、彼女の鋭敏な瞳は誤魔化せなかったらしい。そのときは、自分すら気付かなかった胸の痛みを見抜かれ、動揺してた覚えがある。
「……そんな分かりやすいかな、あたし」
「私が過敏なだけだと思いますよ」
どこか億劫そうに彼女は言う。多分、他人の感情に敏感だったからこそ、友人作りに苦労したんだろうな。色々と、余計なことまで分かってしまうから。取るに足らな過ぎてぼやけてしまうことさえ、察してしまうから。
「それで、悩みって」
「うーん……まあ、些細なことだから」
足を組んで、視線を宙に浮かせ、微笑んで茶を濁す。実際図星だったが、内心はまだ、話す準備が整ってない。前に見抜かれたときも、結局あたしは特に何も喋らなかった。中学生にあれこれ話すのは気乗りしなかった……というよりも、単に、臆して。
「些細って言うなら、尚更話してほしいんですけど」
ささやかな文句と共に、不満げな視線が飛んできた。彼女としては頼ってほしいんだろうけど、残念なことに、あたしは人に相談するのが得意じゃない。昔から、表向きには姉御肌な自分を取り繕ってきたせいで、今更人に頼れなくなってる。
「でも確かに、悩み事って、簡単には言えないですよね」
黙って頷いた。どうやら、また気を遣わせてしまったらしい。あたしのほうが年上だっていうのに、これじゃまるで逆だ。
「……なんかすごいね、アオちゃん」
「えっ」
「年下なのに、あたしの倍以上は生きてるみたい」
「……それ、褒めてます?」
「もちろん。大人びてるって思うし」
彼女の達観した姿勢には、ただただ感服するばかりだ。その自称些細なことで、この一年悩み続けてるあたしからしたら、よっぽど。
「そんなことないですよー」
「謙遜しちゃって」
一瞬、嫌な言い方をしたな、と後悔するが、彼女はあっけらかんとして気にも留めない。ほっとしたのも束の間、彼女も悩まし気な表情をして、ぼやき始める。
「私、今、すっごいみっともないですもん」
「みっともないって、どういう」
「同い年の子たちに、嫉妬しちゃうんです」
「嫉妬?」
「以前、イラスト系の専門学校に通ってるって言ったじゃないですか、私」
そういえば、とあたしは年々細っていく記憶の糸を、どうにか手繰ってみる。元々絵を描くのが好きだったとか、興味があっただとか、そういう職業に就きたいと思っただとか、月並みな理由を、彼女は意気揚々と語っていた。
「入学したての頃は、正直私が一番上手い、なんて自惚れたこと思ってたんですけど、ここ一年で同級生に軒並み画力追い抜かれちゃって」
「いやでも、ほら……画力とか言うけど、結局は人の好みだし」
あたしの半端な励ましに、彼女は首を振る。ちょっとミスったかな。
「実際、その子たちのほうには、企業とかから、もう結構な数の依頼が来てたりするんですよ。私はそのおこぼれを回してもらってる状態なんで」
「……そっか」
「それで、みっともないなぁ、って。せっかくアキさんに憧れて、この道に進もうって決めたのに」
「…………」
『憧れ』と口にされ、言葉に詰まった。これまでも何度か聞いてはいたが、いざ目の前でそれを言われると、むず痒いものが皮膚の下を駆け巡っていく心地がする。嬉しくないと言ったら嘘になるが、なんとなく申し訳ない気がしてるのも事実だ。
「焦って色々と手出してるんですけど、なんか迷走してる感じが拭えないんですよね」
「…………」
「今ちょっと、それで悩んでて。父に無理させちゃった手前、簡単に諦めたりはしたくないし」
「…………」
「すごいですよね、アキさんは。ちゃんと、夢を叶えてて」
「夢……」
胸がざわつく。読んだ漫画に感銘を受け、職業・漫画家を志した当時高校生のあたしは、同人活動に励む一方で、雑誌の新人賞なんかに応募を繰り返していた。幸い、大学卒業と同時に、とある月刊誌から声が掛かり、運よく仕事をもらえたはよかったが。
「……アキさん?」
初連載でスマッシュヒットを飛ばしたっきり、鳴かず飛ばずの毎日。なんとか本腰を入れて取り掛かった今の連載は、編集部の都合で打ち切りの可能性を示唆された。それを見越してなのか、担当の鹿は早い段階であたしに掲載誌の変更を提案してきて。
――じゃあ、考えておいてくださいね。
生活のために在宅ワークをこなす傍ら、頭を捻りつつ漫画を描き続け、粛々と打ち切りへの階段を上っていく日々。温情もあって、どうにかここまで期間を延ばしてはもらったが、決断の時は来週に迫っていた。
「アオちゃん」
「は、はい」
「アオちゃんは、どういう絵を描きたいの」
「えっ、と……」
夢を叶えてすごい、なんて、しょっちゅう言われた。その度にあたしは、もやもやとした何かが、腹の底で蠢くのを、俄かに感じていて。
「そのために、どんな努力をしてるの」
「それは……」
確かに、夢だった漫画家にはなれた。でも、それがなんだ。叶ったとして、その先は。叶えば、そこが終着点なんだろうか。
「具体的な目標とかは、どう? ある?」
「…………」
目標。あたしには、それがなかった。ただ漠然と夢を叶えて、がむしゃらにしがみついて、気付けば崖際で宙吊りになっていて、足掻くうち、描きたいものも分からなくなって。
憧れだけじゃ、先には進めない。それを、あたしは知ってる。だからこそ、言えることがある。彼女が、あたしなんかに憧れて、誤った道に来ないように。
「夢ってね、叶ってからが本番なの」
「…………」
彼女は、それからしばらく黙り込んでしまった。少し言い過ぎたかな。自分に言い聞かせる、いわば戒め的な意味もあったから、結構説教じみた感じになっちゃったけど。
「……アキさん」
伏し目がちだった彼女が、面を上げる。その眼は、相変わらず凛とした様相で。どうやら、心配は無用だったらしい。あたしは嬉しくなって、微笑んだ。
「私、何も考えてませんでした。」
(※書きかけのためここで中略)
「あ、アキさん、私なんかマズいこと言っちゃいました……?」
「え、いや、ううん、違う、違うの」
俯く彼女を、優しく宥める。だけど、彼女の顔は曇ったままで、あたしは仕方ないと溜め息を吐く。どうせ話すかどうか迷ってたんだし、耳をへたらせる彼女のためにも、言ってしまうのが吉だろう。
「アオちゃん」
「……はい」
「あたし、連載打ち切られるんだ」
「えっ……」
彼女は目を見開いて驚いた。アオちゃんのことだから察してるかもしれないとは思ってたけど、どうやら全く意識の外だったらしい。
「休んでた大御所さんが近々復帰するから、その分枠を空けなきゃないんだってさ」
「そんな話って……」
「ま、あたしの描いてるやつ、評価微妙みたいだし、妥当な裁量じゃないかな」
「そうは言いますけど」
「……悩んでるのは、その後の話なんだよね」
怪訝そうに、彼女は丸眼鏡を押し上げた。正直あたしも、それだけだったらここまで考え込むことはなかったと思う。色々なことが一緒くたになって、ひとつの大きな悩みになりさえしなければ。
「担当さんにね、方向性変えたら、って言われちゃった」
「方向性……。アキさん確か、ファンタジーとかの冒険活劇が主軸ですよね」
「そ。重厚なストーリー、緻密な描写、交錯する登場人物……そういうの描きたかったんだけどね」
「それで、どんな方向性に」
「BL」
「……えっ」
「絵柄綺麗なんだし、掲載誌変えてそういうのやったら、って」
淡々と語った後、ふとアオちゃんを見れば、困惑した様子であたしを見据えていた。
「受けるんですか……その話」
「…………」
口が動かない。描こうと思えば描けなくはないんだろうけど、あたしだってLGBTの端くれだ。よく分かりもしないのに、想像だけで話を綴るのは、なんだか躊躇われる。だけど、退路がない以上、あたしに選択肢なんかなくて。で、そんな矢先。
「二人に……会ったんだ」
「善人くんと、大智くん、ですか?」
「……うん」
一年前、あたしが崖際に追い詰められた春先。隣に越してきた彼らは、まさにお誂え向きの二人組だった。確証はなかったが、猫の子からそういう雰囲気を感じ取ったあたしは、二人の生活をなんとなく気にし始めて。それで。
「利用しようとしちゃった……あたし」
「利用って、あの、え?」
「……あの二人を観察して、ネタに出来ないかなって、思っちゃったの」
切羽詰まってたとはいえ、我ながら酷いことをしようとした。邪な考えで二人に近づいて、隣の物音に聞き耳を立てて、先輩面して二人に関わったりして。
そして、窓を開けて、つらつらとメモ帳にネタを書き連ねてたあの日。外から聞こえてきたのは、あの会話。
――男じゃ駄目なのかって。
――なんだよ、急に。
――俺が女だったら、お前は。
そのときの衝撃は、今も鮮明に思い出せる。同時に、自分のしていることの非情さを自覚して、メモを破り捨てたことも。
「だけど、止めたん……ですよね」
「そりゃあ、もう」
彼らには、彼らのリアルがあった。たとえ崖から手を離すことになっても、あたしなんかが、それを興味本位で踏みにじっていいものじゃない。それに……。
――なんか、好きなんすよねぇ。
あれを聞いたら、どうしたって応援したくもなる。あたしも、同じ立場にいたから。報われない感情を、ひた隠しにして生きてきたから。自分よりも若い子が、あれほど苦しんでるのを、見てられなかったから。
「でもそれなら、そんなに思い詰めなくても」
「そうだけど」
罪悪感は、消えない。せめて彼らの手助けに、と、動いたつもりにはなっているけれど。あたしだったら、こんなことはされたくない。
「事実は事実だしさ」
言いながら手の体勢を変えたとき、手元の腕時計に、太陽光が反射した。あたしに不釣り合いの、ファンシーで可愛らしい時計。かつてシェアしてた、想い人からの贈り物。あの子がいなくなってからも、あたしは、うじうじと前に踏み出せないでいる。
でも、彼らは違った。ちゃんとぶつかって、向き合って、お互いを思いやって。そして、ゆっくりでも、二人で歩き始めてる。立ち止まったままのあたしには、それがどうにも眩しかった。
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……ボツ案はここで以上になります。19話と通ずる話やそのまま流用してる部分もあったので、見覚えのある描写もいくつかあったのではないでしょうか。
ボツにした理由としては、秋香さんを前向きにさせる上手い展開が思いつかなかったのと、全体的に「夢」の話になってシェアハウスのテーマとブレてしまう気がしたからです。
「夢」の話になっても構わないかと思うのですが、どちらかというとこの回では「秋香さんが善人と大智の関係をネタにしなかった」という事実に重きを置きたかったのです。
また、このまま書き進めると葵ちゃんの設定もよく定まらなくなって、収拾がつかなくなる未来も見えたので、10000字近く書いたところで一旦白紙にする決意をしました。
いかがでしたでしょうか。ボツ案公開というのはなかなか恥ずかしいものですね。今後もボツ案ありましたら紹介していきたいと思いますが、ここまで大規模なのは今後ないと思います。違和感を覚えたら、結構早々に切り上げることが多いので……。
それでは。今回はこの辺で。